南北朝時代の武将、楠木正行(くすのき まさつら)は楠木正成の嫡男で、湊川の戦いで戦死した父の遺志を継ぎ、楠木家の棟梁となり南朝方として戦い、四條縄手の戦い(東大阪東部の四条・縄手地区周辺との説と今の四条畷市周辺との説が有る)で足利方の高師直・師泰軍と戦って圧倒的な戦力差に敗北し、弟の楠木正時と刺し違えて自害しました。
その墓所は全国に複数存在しますが、今回訪れたのは額田首塚。
近鉄額田駅から山手を登って行くと、石の鳥居が見えてきます。
そして、看板・・・
石の厨子が安置されていましたが、写真は撮ってません。
同じ敷地に有る顕彰碑。
近くにある枚岡神社に何の変哲もない井戸がありました。
しかし、そこには「楠木正行公縁の井戸」という看板が。
実は、以前は「楠木正行公首洗いの井戸」と書かれてあったのが、何らかの理由で現在の表現に改められたそうです。
四條縄手の合戦で討ち取られた正行の首はこの井戸で洗われたというのであれば、先程の合戦の所在説が現在の四條畷市では成り立ちにくく、東大阪市の説もありうる話ですね。(2009.02.15)
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