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それさえもおそらくは平穏な日々Ⅱ
プロフィール
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せんちゃん
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男性
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技術系
趣味:
スポーツ観戦・史跡巡り
自己紹介:
セレッソ大阪サポーター

遠征の合間に各地の
城跡巡りをするのが楽しみです。
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南北朝時代の武将、楠木正行(くすのき まさつら)は楠木正成の嫡男で、湊川の戦いで戦死した父の遺志を継ぎ、楠木家の棟梁となり南朝方として戦い、四條縄手の戦い(東大阪東部の四条・縄手地区周辺との説と今の四条畷市周辺との説が有る)で足利方の高師直・師泰軍と戦って圧倒的な戦力差に敗北し、弟の楠木正時と刺し違えて自害しました。

その墓所は全国に複数存在しますが、今回訪れたのは額田首塚。
近鉄額田駅から山手を登って行くと、石の鳥居が見えてきます。

額田首塚

そして、看板・・・

首塚看板

石の厨子が安置されていましたが、写真は撮ってません。
同じ敷地に有る顕彰碑。

顕彰碑


近くにある枚岡神社に何の変哲もない井戸がありました。

楠木正行公縁の井戸

しかし、そこには「楠木正行公縁の井戸」という看板が。

井戸の看板

実は、以前は「楠木正行公首洗いの井戸」と書かれてあったのが、何らかの理由で現在の表現に改められたそうです。
四條縄手の合戦で討ち取られた正行の首はこの井戸で洗われたというのであれば、先程の合戦の所在説が現在の四條畷市では成り立ちにくく、東大阪市の説もありうる話ですね。(2009.02.15)
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大阪府堺市堺区大仙町にある百舌鳥古墳群の古墳の一つ
日本で最大の規模を誇る前方後円墳です。



宮内庁によって仁徳天皇の陵墓として管理されており、陵号は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)。
一般的には仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)、または、仁徳御陵(にんとくごりょう)と呼ばれています。

現状規模は、墳長480m。
周囲は2718m、面積は464124㎡。





一度、飛行機に乗った時に、上空から、この巨大な古墳を見た時には感動しましたが、地上からだと余りにも巨大な墳丘のため、どこから見ても山にしか見えません。




最も墳丘に近づけるのは正面の拝所で、二重濠の外側堰堤まで立ち入ることができます。



近年、考古学的な比較研究から、年代順位がおかしいとの仁徳天皇の陵であることに否定的な見解が唱えられており、今では教科書などに「仁徳天皇陵」との呼び名は用いられなくなっているらしいです。



今度、機会があれば堺市役所高層館21階の展望ロビーから、巨大な前方後円墳の全容を遠望してみたいと思う。

(2007.01.某日)
公開告知


平成20年5月31日(土曜日)~6月8日(日曜日)の9日間で計3763人が行かれたようです。
残念ながら、事前申し込み募集期間のうちに気付かず(4月16日から年5月7日の当日の消印まで有効)に行く事は叶いませんでしたが、これからも年に1回程度公開されるという事なので、次回に期待。

この古墳の扱いに関しては、色々と言いたいこともあるけれど、まぁ、ここでは言うまい。

見に行かれた方も、心を痛められた方が多いと聞きます。

飛鳥美人

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