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それさえもおそらくは平穏な日々Ⅱ
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せんちゃん
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技術系
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スポーツ観戦・史跡巡り
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遠征の合間に各地の
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岸和田城(別称:猪伏山千亀利城 )

登城日:2007.01.24
天 守:模擬天守 

所在地 大阪府岸和田市岸城町9-1
築城主 和田高家
築城年 1334年
天守再建1954年
構 造:鉄筋コンクリート造3層
全 高:27m



仕事で移動中にちょうど昼時となりました。
車を駐車場に入れてお弁当を食べる事にしました。
入れた駐車場が何と岸和田城の駐車場。
これは行くしかないでしょう。
大急ぎで弁当を食べ終わるとダッシュで城へと向かいました。




城門です。
左に千亀利城とあります。
「ちきり」とは、機(はた)のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を重ねた形が「ちきり」に似ているところから由来するといわれています。



で、桜の季節には、このように・・・



後日、訪れた際に撮影しました。



花見をするにはいい場所ですね。



桜と城。
最高の被写体です。

岸和田城

話を戻します。
急ぎ足で城門をくぐり、天守へと向かいます。
天守の前には八陣の庭がありました。



八陣の庭は諸葛孔明の陣構えからとったもので、大将を中心として周りに天・地・風・雲・鳥・蛇・龍・虎の各陣を配したものです。
後ほど天守の上から見てみましょう。



最初の写真で本丸の石垣の下に、犬走り石垣といわれる周堤帯があるのがわかりますでしょうか?
軍事的な意味から考えると、本丸への敵の侵略に拠点を与えるということから矛盾した造りで、他の城では、ほとんど見られないものです。
上部の石垣が壊れ易いので、補強するために造られたものと考えられています。

また、現在の天守閣は3層ですが、本来は5層の天守閣でした。
幕府に提出した城郭普請絵図に描かれている天守閣が、すべて5層であることからも明らかです。



最上階からの岸和田の景色です。
建武元年(1334)楠正成の一族和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりになったといわれています。



もう1枚。
遠くに阪神高速湾岸線の岸和田大橋(255m)が見えます。

さて、時計の針はあと少しで1時。
展示物をゆっくり見る暇もなく、大急ぎで城を後にしました。

あ・・・
天守の上から八陣の庭、覗くの忘れた・・・OTL
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