忍者ブログ
それさえもおそらくは平穏な日々Ⅱ
プロフィール
HN:
せんちゃん
性別:
男性
職業:
技術系
趣味:
スポーツ観戦・史跡巡り
自己紹介:
セレッソ大阪サポーター

遠征の合間に各地の
城跡巡りをするのが楽しみです。
カレンダー
03 2024/04 05
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
最新トラックバック
フリーエリア
ブログ内検索
QRコード
(`・ω・')シャキーン!
アクセス解析
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

10日ほど前に、休日出勤で打合せに出掛けた時の事です。
ふと、一本の松が目にとまりました。

蛸の松

蛸の松

案内板によると、江戸時代の中之島には諸藩の屋敷が並び、各藩自慢の松が植えられていたとか。
なかでも、久留米藩と広島藩の境の松は枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」とよばれていたそうです。

蛸の松

地図によると江戸時代の「蛸の松」は対岸にあったようです。

蛸の松

この辺りかな?

蛸の松

川のほうから撮ってみました。


その後、松は次第に樹勢が衰え、明治の終りに枯死したとの事。
切り株は大阪教育大学に保存されているようです。
平成16年に護岸の美化にあわせ、かつての風趣を偲んで再現したのが今の松だそうです。

蛸の松

写真の右下にHPのアドレスがあります。
興味のある方は、行ってみてはいかがでしょうか?

PR
テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャル
「天と地と」(1月6日)

運は天にあり
 鎧は胸にあり
  手柄は足にあり 
いつも敵を掌にして合戦すべし
疵つくことなし
死なんと戦えば生き
生きんと戦えば必ず死するものなり
家を出ずるより
帰らじ思えばまた帰る
帰ると思えばぜひ帰らぬものなり
不定とのみ思うに違わずといえば
武士たる道は不定と思うべからず
必ず一定と思うべし

いやな予感はしたので、寸前まで見ないつもりでしたが、つい、魔がさしました。

ええっと…無茶でしたね。
2時間ちょっとでやるには無理すぎる内容です。
そのくせ余計なもん色々くっつけちゃったもんだからもう、ドタバタ(爆)
くだらないシーンに時間取って、大事な場面はスっ飛ばし!
すんごいダイジェスト版だわ。
話し飛びすぎで普通の人には展開が読めないだろ!

天守閣がどうのとは言いません。
大熊朝秀討ち取られちゃっても知らん人にはわかりません。
でもね…

北大路毘沙門天に腰抜かしてたら、

「いきなり妻女山にいるのかよ!」
「もう川中島かいっ!」

さらに、
駆け引き無しの川中島!
山本堪助、槍で瞬殺!
通説無視した一騎打ち!
さらに首を差し出す信玄に「また会おう!」

悪い意味でごっつい斬新な川中島だなっ!

そして時間が間に合わずに最後は字幕かよ…

あぁ、正月休み最後の夜が…
時間返せ。
随分ここに書くのも久しぶりだけど・・・
ぼちぼちと書いていきます。


富士山

正月は富士山を見てきました。

富士山

ちょっと高いところから関東平野をぐるりと見渡してきました。

秩父連山

広いですねぇ・・・

それでは、遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。
女ノ浦海水浴場。
左手に宮崎ノ鼻。右端には有田漁港(切れてるけど…)
遠くに沖ノ島が見える。

ある冬の日の風景。



「コラのせんちゃん」にしては画像編集が雑?
しゃあないやん、時間ねぇ。
もっときちんと編集したいけれどね…('・ω・`)

一生、時間ねぇと思う…
JR桜井線 畝傍駅





昔は皇族が橿原神宮に参拝する時の乗降駅だった。
今では駅前も寂びれてしまっています。
大勢の駅職員がいたのもはるか昔。無人駅となっています。



総檜造りの貴賓室。
ここで皇族が休憩されていたのですね。



以前は紹介する看板が出ていたような気がしたが…
どこにもそれらしい看板は無くなっていた。



3月30日。
仕事の時間を30分間違って伝えられ、途方に暮れながら過ごしました。
貼ってみる…

宝塚

宝塚にて

大阪湾

大阪南港
年末に観てきました。

わずか60年前に、この地で本土を守る為に散っていった2万名の人達の事を、世の中の多くの人達に知ってもらう意味で、とても素晴しい映画だったと思います。

一番恐れていた「アメリカ人監督とスタッフ」=「日本人に対する偏見や誤解の描写表現」がほとんど見られなかったのも良かった。
そして「これがハリウッドだ!」と言わんばかりの迫力のある爆撃シーン。
確かに日本映画で、ここまでの迫力は出せまい。
但し、本当の戦場はこんなものではなかったと聞きます。
島が粉々に吹き飛んでしまうとまで言われた、艦砲射撃・航空爆撃はさすがに撮影するには限界でしょうか。

一番良かったのは、やはり渡辺謙さんの好演ですね。
家族を思う優しさ、今までの軍人に無い合理主義者の知的さ、そしてやはり軍人だという凄み。
彼以上に栗林中将をこれだけの深みのある人物に演じれる役者はいないでしょう。
戦場で生きたいと願う兵士を好演していた二宮和也が演じる西郷は何だったのか?
実際、死際に「天皇陛下万歳」ではなく、「馬鹿野郎!」とこのような戦地に送られた国に怒りを露わにした兵士もいたそうです。
しかし、あまりにも現代人ぽい西郷。
観客を西郷の目で見せるためのそういった演出だったのでしょうか?
そして、中村獅童。
人間の強さと弱さを上手く演じてくれました。
狂信的なまでの思いと、その思いが折れた時の弱さと言うのでしょうか…
ただし、あの高性能地雷(笑)はいただけません。
私は水筒かと思いましたよ。何だかやけに軽そうでした。
実際に20キロの爆薬を抱いて、戦車に飛び込んでいった人達がいた事を、映画でも撮っていただきたかった。
西中佐を演じた伊原剛志も良かったのですが…
実在した人物でその最期は分かっていないのに、あまり話を作り過ぎると、引いてしまいます。
(それを言い出すと、栗林中将も最期は「ラストサムライ」になってましたが)
ただ、西中佐が戦車の車体を埋めて固定砲台として使ってた事まではよく調べたなぁと感心しました。
西中佐がチハ(九七式中戦車)の上に乗って、M-4戦車部隊に突撃したらどうしようかと心配してました。いや、マジで。
日本軍の当時の新兵器・噴進砲まで登場させたのは軍オタへのサービスでしょうか(笑)
加瀬亮演じる元憲兵も、戦場の中で変わる価値観を上手く演じていました。
その最期は「投降すれば殺される」と軍から教え込まれていた事が、あながち間違いではない事を教えていました。
(実際、少数部隊に投降すればこんな事もあったようです。こんな事するのは野蛮な日本兵だけだと思われがちですけれどね)
しかし、アメリカ映画でよく、こんなシーンが撮れたな…監督とスタッフに拍手だわ…あ、監督からして、「これは日本映画だ」って言ってたっけ?

ところで、夜中に日章旗出させたり、恐れ多くも陛下より頂戴した貴重な銃弾を犬に撃つといった場面はこの際、この時代の理不尽だった憲兵の表現と言う事で目をつむりましょう。
ただし、どうしても許せないのは、摺鉢山守備隊が洞窟の中で次々と手榴弾で自決した場面。
まだ戦える五体満足の兵士が自決なんてありえません。
「ほらほら、ハリウッドはこんな特殊メイクも出来るんだよ~」
と自慢こかれたようなグロな死体製造のオンパレード。
他でやってください。
手榴弾自決を軍の命令で行うのは動けない傷病兵のみです。
その辺り、シナリオ変えても表現出来るでしょ?
洞窟も何だか広くて、兵隊は健康そうだしなぁ…

本当にこの映画に心を打たれたのは、これが実話であって、そして映画以上に凄惨な話であった事。

この島を奪われれば、米軍の本土への空襲が容易になってしまう。
少しでも長く踏み止まり、愛する家族のいる日本本土への進攻を1日でも遅らせる決意で勝ち目の無い戦闘に臨んだ栗林中将と兵士達。
もちろん、映画の西郷のように生きて帰りたいという思いの兵士もいたでしょう。
降り注ぐ爆弾の嵐。
糞尿と死体・硫黄ガスと地熱といった劣悪な環境の中で、潜んでいた坑道は火炎放射器で焼き尽くされ、火炎の届かない所には毒ガスで、入口はブルドーザーで塞がれ、頭の上からは削岩機で開けられた穴からガソリンが。
やがて水も払底し飢えと渇きに苦しみ、栗林中将の戦死の後も生き残った日本兵は地下坑道に潜伏し抵抗を続けました。
それは、栗林中将の「無駄な玉砕はするな」「十人殺すまで死ぬな」の言葉を忠実に守っただけではなく、単に「生きたい」「投降すれば殺される」という思いからだったのでしょうけれど。
(最後の日本兵がアメリカ軍に投降したのは終戦から4年後だったと聞きます)

長く苦しい戦いが、映画ではあまりにもあっさりと終った気がします。
この辺りは限られた制約の中での、映画の限界でしょうか?

けれど、今、この映画以上に硫黄島の戦いを伝えられるものを作れる人はいないでしょう。
この映画を観て、少しでも多くの方が60年前に(自分の意思に関係なく)この国を守る為、戦い、そして辛く苦しい思いのうちに、ほとんどの人が亡くなったという事実を知っていただければ良いのではないかと思います。

いや、悪いくせでついついケチつけちゃったみたいですが、良い映画でした。
「父親たちの星条旗」は観てないのですが、DVDが出たらセットで買っちゃおうと思います。
記事が前後してしまったが、下津へ向かう途中の紀ノ川SA。



ここからの見晴らしはいいですねぇ…





余裕もって着いた筈なのに…
まさか、道に迷って遅刻してしまうとは(汗)
紀文の碑、撮ってる場合じゃないって…
('・ω・`)

12月5日の事です。
仕事で下津へ行ってきました。


紀文船出の地
かつて、一代で巨万の富を築いた紀伊国屋文左衛門が江戸に蜜柑を運んだ船出の地です。


江戸中期、紀伊国で生まれ、みかんを江戸に運ぶ商売で利得を上げ、
のちに材木商として江戸に進出。
老中柳沢吉保に取り入り、幕府の御用達商人となった人物です。


紀文船出の地 より、対岸を見る。


その、対岸からです。
紀文船出の地は赤丸印の辺り。





最後は雑ですね。眠いです…
手紙を届ける側にスポットを当てるとは、なかなかじゃないか…
と見るまでは、大いに期待してました。
実際に物資を届け、夜間爆撃に二度成功した根本正良氏のお話ですね。
何と実物大の一式陸攻を再現したというし…
が・・・

正直、ドラマじゃなくてドキュメンタリーだったら良かったなぁ…
生存者や遺族のお話、手紙の紹介で充分でした。

市丸少将が遺書としてアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた『ルーズベルトニ与フル書』も、きちんと紹介して欲しかったですね。

ルーズベルトに対する痛烈な批判は、日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとして始まり、さらに欧米諸国によるアジア植民地化を批判し、スターリンを首領とするソ連と協調しながら、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突いていきます。

最後にウィルソン大統領失脚の同じ轍を踏む勿れの一文から、
TVではナレーションで
「戦後アメリカが世界平和に尽くすべきだ」
の一言で終らせるとは…酷いもんだ…

実際に根本氏が3機の一式陸攻で硫黄島に降りた時というのは、急いで荷を降ろし、行列を作って並んで待っている傷病兵を15人乗せて離陸する事でした。
そこに米軍機が来襲したそうですが、P-38の2機により、分隊長機、三番機は皆の見てる中で撃墜され、根本氏の二番機は、離陸を焦った三番機に割り込まれて逆に助かったそうです。
15名しか乗せられず、16番目の兵士の失意の顔が忘れられなかったそうですが、ドラマでもその辺りに触れてはいましたが…

そろそろ、突っ込みタイム…

滑走路に駐機している一式陸攻を無視して兵隊を襲う米戦闘機って…
12.7mmをくらったら体が千切れ跳ぶと思います。
23mm機関砲1門、12.7mm機銃4門を機首に装備させたPー38なのに隙間のあいた機銃掃射跡…
一式陸攻はいい戦闘機…はぁ?今、戦闘機って言った?
攻撃機だけど…
「いおうじま」・・・ですか?
本当に「竹槍」わざわざ空輸したのかなぁ…

イーストウッドには正直、見てもらいたくないと思いました。
最後のCM前のテロップにひっくり返りそうになりました。
「玉砕の島 根本の運命は 届くか最後の手紙 」
って、何なんだっ!
≪ Back   Next ≫

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

Copyright 航 跡 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog / Material: Milky Way
忍者ブログ [PR]